日本人に見られるライティング上の問題

2016.1.12

日本人の書く実務文章の99%は、ライティング的に見れば失格です。ほとんどの文章は論理的に構成されていませんし、効果的なコミュニケーションができていません。新聞の社説や大学教授による意見文でも例外ではありません。ここでは、論理構成や効果的なコミュニケーションという点にしぼって、日本人に共通した、ライティング上の問題点を紹介します。

パラグラフに対する意識がない

多くの日本人は、パラグラフがなんだか知りません。「かなり長いこと書いたから、そろそろ改行しようか」程度の認識の人が圧倒的です。圧倒的多数の人が、適当に改行しているのが現状です。中には、1文ごとにすべて改行する人までいます。

パラグラフはライティング上、非常に重要な意味があります。パラグラフをつかうことで、ロジックが正確に伝わります。また、パラグラフをつかうことで、無駄な情報を読まずに済みます。さらには、文章が自然と論理的にもなります。パラグラフを使えないなら、論理的な文章を書くことは不可能です。

パラグラフにどのような重要な意味があり、どのように書かなければならないかについては、『パラグラフの重要性と書き方』のコ−ナーを参照して下さい。

主張や根拠を明確に述べない

日本人の多くは、主張も根拠も明確に述べません。述べたつもりになっているだけです。

疑問を発して主張したつもりになってはいけません。たとえば、『なぜいつまでたっても、共働きの家庭にとって子供を育てやすい環境が整わないのだろう。』は、正しい主張ではありません。主張を暗示しているにすぎません。暗示する述べ方は、曖昧になるため、論理的な文章で使う方法ではありません。上記の例では、暗示で主張しているため責任主体もはっきりわかりません。

主張は、明確に述べなければなりません。たとえば、『政府は(企業は)、共働きの家庭にとって子供を育てやすい環境を整えるべき』と述べるべきです。明確に述べるからこそ、『なぜなら、』と根拠につながるのです。論理的な議論に発展するのです。主張を暗示すると、主張を述べた意識が弱まるので、根拠を述べよう、根拠を聞こうという意識が弱まってしまいます。

また、日本人の多くは、根拠を明確に述べません。 主張に根拠が必要なのは当たり前のようですが、じつは多くの人が根拠を述べずに主張を述べます。それも、世間では知識人と思われている人(大学教授など)でも、根拠なく主張します。新聞の社説でも、ビジネス書でも、根拠のない主張を目にします。

 たとえば、次に示す記事で、筆者は「好ましくない」と主張していますが(下線部)、その根拠は述べていません。

 それに、ディベート形式のトレーニングばかり積むと、相手の発言の本質をとらえる努力をせずに、あら探しばかりするようになる。また、ディベートでは往々にして、立場を変えていかようにでも議論できることを求める。しかし、自分の価値基準を離れて論理構成をするという習慣を身につけるのは決して好ましくない。
 説得力が必要とされるケースとは、自分と相手の価値基準が異なるときである。このとき論理力に頼ると、双方の価値基準の対決のようになってしまい、相手を否定することで自分を認めさせる構図になる。
(「週刊ダイヤモンド」2005年6月11日号 齋藤孝明治大学教授 「説得力」 下線は引用者)

結論を最後に述べたがる

日本人は結論を最後に述べたがります。しかし、読み手指向に文章を書くためには、結論をさきに書かなくてはなりません。

書き手側からすれば、結論を最後に書くのは自然なことです。なぜなら、結論は最後に導かれるのですから。たとえば、実験やシミュレーションをして、その結果から結論を導き出します。あるいは、お客様からクレームが来て、対策を決めるのです。やったことをやった順に書くのが楽なのです。

しかし、読み手にとっては迷惑この上ありません。なぜなら、文章の最後まで読まなければ、何が言いたいのかわからないからです。結果や結論が分からないなら、その文章に対する優先度もつけられません。どんな結果や結論になるかわからない文章を、役に立つかわからない文章を、優先度もつけづに読み続けるほど人は暇ではありません。

読み手本位に考えると、結論は先に述べなければなりません。結論を先に述べることで、読み手は先まで読み進むかの判断できます。その文章に対する優先度が付けられるのです。人は、役に立つと確信できる文章を、優先的に読むはずです。役に立つかわからない文章は二の次です。

わかりにくいほど質が高いと思っている

文章が難解であればあるほど、自己の主張の質が高いと思っているとしか思えない人がいます。(特に研究職の方:大学の教授も含みます) 平易な言い回しがあるにもかかわらず故意に誰も知らないような漢字やカタカナを使用するのはまだかわいい方です。中には文章構成自身がめちゃくちゃで、論理的な思考ができてないのではないかと思う ような文章もめずらしくありません。高度な研究が一般の人には難解なのは仕方ありませんが、文章まで難解にするのはバカげたことです。これでは、自己の研究成果を認知してもらうことは難しいです。