解答:行きすぎた漢字制限はやめるべし?

2000.11.20

 

基本的な考え方

この意見の論理性を検証するときに重要なことは、T.I氏が挙げた例(「又は」、「即ち」、「おおい」)に反撃を加えても効果的でないということです。なぜなら、T.I氏はすぐざま別の例をいくらでも出してくるでしょうから。

 

したがって、T.I氏の議論を支える基本的な部分を検証しなければなりません。つまり以下の2点になるでしょう。

  1. 学校で教わったことは使って良い/使って悪いなら学校で教えるな

  2. 日本語は漢字を見なければ意味が通じない

このT.I氏の議論を支える基本的な部分の論理を検証した後、補足的にT.I氏が挙げた例に対しても検証を加えると良いでしょう。

 

第1のポイント

第1のポイントである「学校で教えているのだから使って良い(使って悪いなら学校で教えるな)」におけるT.I氏の論理性の問題は、時間軸を考慮していない点にあります。つまり、方針の変更があってから学校教育に変化が始まることを考慮していないのです。学校教育に変化があってから文部省の方針が変更になるわけではありません。

 

現在は文部省の方針が発表になったばかりであり、今後その方針にしたがって、学校教育が変化するわけです。現在はその過渡期にあたり、文部省の方針と学校教育が異なるのは当然です。したがって、現段階で学校教育が旧方針だからといって、新方針が不適切であるという根拠にはなりません。

 

第2のポイント

第2のポイントの「日本語は漢字を見なければ意味が通じない」は、正論であり論理的に正しいと感じるかも知れません。しかし、この主張自身は正しくても、このことがT.I氏の本来の主張の根拠にはなっていません。

 

では、T.I氏の本来の主張とは何でしょう? 本文を読むと、「行き過ぎた漢字制限はやめるべし」と思うかもしれませんが、実は違います。本来の主張は、「文部省の漢字制限は行き過ぎている」です。ここの部分を読み間違えると、T.I氏の主張の論理性を検証できません。

 

「行き過ぎた漢字制限はやめるべし」は、あえて言うほどもなく当たり前のことです。この主張の根拠として、「日本語は漢字を見なければ意味が通じない」はこれ以上のない立派な根拠です。しかし、ここで問題となっているのは、今回の文部省の漢字制限が行き過ぎているかどうかです。T.I氏は、本来の問題である『文部省の今回の漢字制限が行き過ぎているか』を棚上げし、『行き過ぎた漢字制限はやめるべし』というしごく当たり前のことに論点をすり替えているのです。本来の論点である『文部省の今回の漢字制限が行き過ぎている』については何ら根拠を示していません。」

 

このように、本来の主張と述べている根拠が合っていない場合は意外に多くあります。この点に気づかないと、理性を検証できません。相手の根拠を検証する場合は、相手の主張は何であるかをしっかり頭に残しておかなくてはなりません。