ライティングの常識・非常識 1998.9.4 文章を書くときに守るべきルールの中には、広く信じられているにもかかわらず、間違っているものや不適切に教えられているものがあります。ここでは、そのような誤って教えられているルールを指摘し、どうすればよいかについて述べます。
日本語の文章の書き方の本を見ると、「起承転結を意識して文章を構成する」ということが書かれていることがよくあります。しかし、起承転結は全文を読んでもらうためのテクニックであり、できる限り読まずに必要な情報を伝達する実務の文章には不適切です。
実務の文章では、『起』の次には『結』がこなければなりません。これは、主として、本文を読むかどうかの選択を容易にするためと、本文の道筋を示すことで、読み手にメンタルモデルを形成させ、本文を理解しやすくさせるためです。論文においても、要約の形で結論を最初に述べるのが習慣です。『結』を最後に持ってくるのは実務の文章としては失格です。『結』が最後に来れば、全文を読んでもらわなければ、その文章の主張がわかりません。また、文章がどう展開するか先が読めないので、理解しずらくなります。
実務の文章では、『転』を起こしてはなりません。読者のメンタルモデルが崩壊して、混乱するからです。読み手はこの混乱から回復しようと努力(たとえば読み返す)するので、それだけ負担がかかり、理解しずらいと感じます。
『転』は、読み手の興味を引き、文章をの先を読んでもらうにはよい手法です。『起承転結』の『転』でいったんメンタルモデルを崩壊させ、『結』でそれを見ごとに再構築することで、読者は文章に引き込まれていくのです。つまり、全文を読んでもらうために適した手法であり、実務の文章には適しません。
日本語の文章の書き方の本を見ると、ほぼ例外なく「文は短く」ということが書かれています。ご丁寧に目安とすべき最大の文字数まで提示してある本もあります。短い文のほうが長い文よりも理解しやすいということについて異論はありません。しかし、「短い文を書こう」とか「長い文は避けよう」と指導するよりは、「1文では1つのことだけを述べよう」と指導したほうが論理的であり、効果的です。
長い文は印象が薄くなり、理解しにくくなります。これは、多くのことを一度に、つまり一文で述べようとするからです。多くのことを一度に述べても、読み手はそれを一度に処理できません。したがって、印象が薄くなったり、理解しづらくなるのです。
逆に、印象を強め、理解しやすくするには、「1文では1つのことだけを述べる」ようにすれば良いのです。問題が、「複数のことを同時に処理するのは大変である」なのですから、解決策は「短い文を書こう」とか「長い文は避けよう」より、「1文では1つのことだけを述べる」ほうがより論理的です。
また、「1文では1つのことだけを述べる」と指導したほうが、「短い文を書こう」とか「長い文は避けよう」と指導するより効果的です。なぜなら、「短い文を書こう」とか「長い文は避けよう」と指導すれば、必然的に、「何文字くらいなら許容範囲か」とか「いちいち文字数を意識しながら文章を書くのか」といった疑問が生じるからです。一方、「1文では1つのことだけを述べる」と指導すれば上記のような疑問は生じません。
この「1文では1つのことだけを述べる」という考え方は、ライティングの世界では比較的広く知られていますが、「短い文を書く」という考え方との関係を明確に示している本はあまりみかけません。
日本語の文章の書き方の本を見ると、ほぼ例外なく「受動態を避け、能動態を使う」ということが書かれています。しかし、この考え方は、単文だけを見れば、正しい考え方ですが、文章という点からみたとき、誤った考え方です。態を決めて文を書くのではなく、主語を決めてから文を書くのです。主語が決まれば態は自然に決まります。つまり、主語によっては、文が受動態になるときもあれば能動態になるときもあるのです。それを無理に能動態にすれば、不適切なものが主語となり、文章の流れが崩れます。
主語はその文が何について説明しているのかを示しています。つまり、その文の中心になるものが主語となっているのです。「彼がその会社を興した。」という文では「彼」が話の中心です。一方、「その会社は彼により設立された」という文では「その会社」が話の中心です。
同じ内容でも、主語が異なれば、読者に与える印象が異なります。上述の二つの文でも、読者は異なる印象を持ちます。それなのに、「文は能動態で」というルールを守って、不適切なものが主語になれば、文章全体での表現力が落ちてしまうのです。
たとえば、以下の文章ではABC会社の話をしていたのに、最後の文を無理に能動態で表現したため、突然、鈴木氏の話になってしまっています。これでは読者は面を喰らってしまいます。この唐突性を不自然に感じない人もいるでしょうが、文章の焦点がぼけているのは歴然です。
以上のように、「文は能動態で」という考え方は、単文では正しい考え方ですが、文章という点からみたとき、誤った考え方なのです。
日本語の文章の書き方の本を見ると、よく「同じ言葉は繰り返さない」ということが書かれています。しかし、この説明では、同じ言葉の繰り返しは必ず避けなければならないような誤解を招きかねません。正しくは、「キーとなる単語は統一して使用し、言い換えはできるだけ避ける。それ以外の単語、特に文末表現は、同じ言葉を繰り返さない」です。
キーとなる単語は統一して使用しなければなりません。読者が同じものを指しているのか判断できない場合があるからです。同じ単語を使い続けると、単調になり、不自然にすら感じることがあります。しかし、実務の文章では、誤解を招かないということが優先されます。特にマニュアルではこの考え方は重要です。
キーとなる単語以外は、なるべく同じ言葉を繰り返さないほうがよいです。なぜなら、同じ言葉の繰り返しは、読み手に不自然さを与え、時には、稚拙な印象すら与えかねないからです。キーとなる単語以外なら、同じことを別の言葉で表現しても、誤解を生む心配はありません。
キーとなる単語以外とは、接続詞や文末表現です。たとえば、『または』が連続するようなら、一方を『および』に換えたり、『....です。』という表現と『....ます。』という表現を混ぜて使うと良いです。 |