ライティング技法の認知心理学による裏づけ

1998.8.8

 

認知心理学とは「わかる」という頭の働きを、心理学的に研究する学門です。この認知心理学が、最近、ライティングの世界で注目を集めています。認知心理学に基づいて、より分かりやすく表現しようというわけです。

 

ここでは、認知心理学の中で、ライティングに関係するごく初歩的なこと(筆者は認知心理学には素人ゆえ、初歩的なことしかわからない)を述べ、ライティングとの係わりについて考察します。

 

残念ながら、認知心理学から導かれるライティングの手法に、従来の手法を超える新しいものはありません。しかし、従来の手法が、人に理解をさせる上でなぜ効果的なのかを、認知心理学は明確に裏づけてくれます。この点においてこの考察は興味深いものです。

 

二貯蔵庫モデル

認知心理学では、人間の頭の働きを、長期記憶貯蔵庫と短期記憶貯蔵庫の二つの貯蔵庫でモデル化しています。頭の中に入ってきた情報は、短期記憶貯蔵庫で一時的に保管され、必要に応じて長期記憶貯蔵庫から関連情報を引き出したり、戻したりしているとするのです。

 

短期記憶貯蔵庫には、7±2個の情報を約20秒ほど蓄えておくことができます。ここで7±2個と言いましたが、その単位は言語上のある種の固まりを意味しています。まったく意味のない文字の羅列であれば7±2字ですし、単語単位の羅列なら7±2語です。

 

一方、長期記憶貯蔵庫には、ほぼ無制限の情報をほぼ永久的に蓄えておくことができきます。ただし、短期記憶貯蔵庫に入った情報を、長期記憶貯蔵庫に移すには、何度も繰り返しをしたり、特別に強い衝撃を受けなければなりません。

 

情報が短期記憶貯蔵庫に入ってくると、それに関連した情報が長期記憶貯蔵庫から引き出されます。それを目的に応じて加工し、外の世界に出力するとともに、長期記憶貯蔵庫にしまい直します。こうして人はものを理解し認識しているのです。

 

なぜ人は理解できない文章を書くのか?

人はものを書くときに、アイディアを具体化し、それを表現し、推敲するということを短期記憶貯蔵庫で同時におこなっています。しかし、上述のように短期記憶貯蔵庫の容量は非常に小さいので、情報を早く出力して短期記憶貯蔵庫の負荷を下げたいという衝動にかられるのです。この衝動のままに文章を書き、そのまま発信してしまうと、理解できない文章になるのです。

 

この場合、アイデアを具体化することとそれを表現することで、短期記憶貯蔵庫がいっぱいになり、アイディアを体制化することができなくなります。こうなると、文と文の接続や論理関係にまで手が回らなくなるのです。

 

このような状況を回避するためには、文と文の接続や論理関係に気が回るほど、短期記憶貯蔵庫の負荷を下げなくてはなりません。アイディアを具体化して、短期記憶貯蔵庫がいっぱいになった段階で、一時的に外の世界に出力する、つまり、メモを取るのです。けっして、気のおもむくままに発信してはいけません。

 

わかるとは?

認知心理学的に「わかる」とは、入力された情報を、すでに有する知識に同化させることができるか、あるいはすでに有する知識を使って調整することができることを意味します。ここで、同化とは長期記憶貯蔵庫の中にある情報を組み合わせて、新しい情報を消化することです。また、調整とは、長期記憶貯蔵庫の中にある情報の組み合わせだけでは、消化し切れないときに、長期記憶貯蔵庫の中にある情報を多少変形させたりして、新しい情報を消化することです。情報をうまく同化もしくは調整できればわかったということになります。

 

もっと知りたいとは?

人は情報が短期記憶貯蔵庫に入ってくると、長期記憶貯蔵庫の情報で同化もしくは調整しようとします。しかし、必ずしも同化や調整ができるとは限りません。同化も調整もできないと、心理的に不協和の状態になり、人はこれを何とか解決しようとして、調整するための情報を欲しがります。この状態が「もっと知りたい」という状態です。しかし、この状態になるには、同化も調和もできない情報が、多すぎても少なすぎてもいけません。この微妙なバランスをうまく取ることができれば、好奇心を引きつける文書が書けることになります。しかし、このバランスは読者によって異なり、こうすればよいという黄金律はありません。

 

メンタルモデル

メンタルモデルとは、人がある情報に関して、それぞれ独自に作り上げる心の世界です。人は情報が入ってくると、その情報を高速に処理するために、とりあえずこれはこういうもんだと、モデルを作ります。これがメンタルモデルです。

 

いったんこのメンタルモデルができあがると、そのモデルにしたがって人は思考するようになります。つまり次の情報を予測しようとするのです。短期記憶も予測に基づいた情報処理のみをやるようになります。したがって、予測があたる限り処理は高速化されますが、予測が外れると、その修正に大きな負荷がかかることになります。これが思い込みです。このようにメンタルモデルは情報処理速度を上げるとともに、間違いも引き起こしてしまうもろ刃の剣でもあります

メンタルモデルという用語は、各分野で微妙に異なる意味で使われます。そこで、上記のように「文章を読み進むにあたって心内に構成していく理解内容であると同時にその後の読解の拠り所となるもの」としてのメンタルモデルは、区別のため状況モデルと呼ばれることがあります。

 

なぜパラレリズムは守らなければならないのか?

パラレリズム(複数の語,句,節を並列する場合、同じ種類のものを、同じ文法形態で列記するというライティング上のルール)を守らなければならない最大の理由は、読者のメンタルモデルを崩さないようにするためです。人は、物事が並列してあるのを見ると、メンタルモデルを形成します。つまり、そこには同じ種類のものが、同じ形で並んでいるはずだと予測するのです。そして、第一項目の内容を認識した段階で、さらにメンタルモデルを絞り込み、より具体的な予測をします。ここで、パラレリズムが破られ、第二項目以降に第一項目と並列しないものが現れると、読者のメンタルモデルによる予測がはずれることになります。パラレリズムの狂いがわずかなものであれば、修正も容易でほとんど無意識のうちに行われますが、狂いが大きすぎて、読者のメンタルモデルが崩壊すると、読者は混乱することになります。

 

実際の文書でのパラレリズムでは、読者が混乱するほどではありませんが、メンタルモデルをかなり修正しなければならないものを多く見受けます。メンタルモデルは無意識のものですから、この手の文書は読者に無意識の負担をかけ、なんとなく分かりにくいという印象を与えることになります。

 

以上、認知心理学がライティングの技法を裏づけるという観点から考察してみました。このほかにも、認知心理学を用いるとより理解の深まるライティングの技法があるでしょう。認知心理学によるライティングは、今後さらなる注目を集めるものと思われます。

本記事は、海保博之著「こうすればわかりやすい表現になる」をベースに、筆者が考察を加えたものです。不適切な表現や勘違いがある場合は、遠慮なくご指摘ください。

 

    貴重なご意見をいただきました、中京大学 情報科学部 認知科学科の高橋和弘先生に感謝いたします。